最近は、記事をポストしておらんで、人々から忘れ去られようとしております当blog。
それでもひっそりと暮らしておる所であります。
最近はめっきりと使わなくなってしまった「HP35S」ですが、久しぶりに電源を入れると、電池切れで動かんですね。
そこで、電池を交換するのですが、これの電源は、CR2032というリチウムコイン電池です。
リチウムコイン電池、最近では様々な製品に利用するので、買い置きがあり、すぐにも交換に至ったのですが、一方、使い終わった電池はゴミとして処分しないとならない。
「リチウムコイン電池、どこかで回収しておるんかいや ?」と、調べたのですが、以下のサイトによると、
ref. http://www.eme-tokyo.or.jp/consultation/faq/answer64.php
リチウムコイン電池は「環境負荷が小さく、タダの不燃ごみとして捨てていい」らしい。これは驚いた。
結構「エコ」だった、というと大袈裟ではありますが、まあ、気を使わんでいいのは有り難い所。
一方、昨今は「SDGs」とかいうて「レジ袋を使いまわしましょう、ポリ袋は敵だ」と言わんばかりであります。
過日、TBSで放映された「日本沈没」ですか、何となく「地中奥深くにあるエネルギー資源を汲み出すという施設が業して、日本国土の大半が沈没してしまった」という寓話的展開でしたが、「ポリ袋を燃やさなければSDGs、環境は救われる」というのは、ホントなんじゃろか ?
自動車産業の多くは、欧州で進みつつあるガソリン車脱却、電気自動車の開発への方向転換で、舵を切っていると言われております。
それは、欧州、米国で車を売り込むという事情から、らしい。
欧州、米国を中心にSDGsの大合唱。北極や北欧の国々は、地球温暖化で国土が縮小しつつと言われており、地球温暖化は、国際世論となっている。しかし、それが二酸化炭素の排出を抑えるだけで解消できるのだらうか ?
かつて、独逸の「黒い森」が、NOx による酸性雨から枯死が進んでいると言われておりました。そこで自動車業界は排ガス規制を設け、それに応じた形で自動車開発を進めてきたのですが、
今度はSGDs、電気自動車というゴールポストを設置、ルールセッターにうまく誘導された形であります。
欧州の一部メーカーは電気自動車の開発でリードしていると言われておりますが、全てのメーカーでは無さそう。一方、日本の自動車産業の多くが電気自動車の開発へ軸足を移しているとか。
当方なんぞは、自動車を買うほどの財がある訳ではありませんから、自動車産業がどこへ向かおうと知ったこっちゃありませんや。
所が、TBS「日本沈没」では、こうした大企業の「企業城下町」を海外に移設、ついでに周辺住民などを受け入れを諸外国へ打診する、ちう無理筋なハナシで進んでおりました。
1企業城下町の移設で、数百万の人々を海外移民出来るなんて、与太話もいい加減にしろヨ。
まだまだ、色々といいたいことはあるのですが、筆も鈍って来ており、ここらが潮時なのかも知れませぬ。新年早々、うんざりする様な話題で相済みませぬ。
謹賀新年 (虚礼廃止だったのですが)
2 件のコメント:
akatuki様
正月だ新年だと言っても、所詮地球がくるりと一回転しただけの話。それ以上でも以下でもございません。
私は以前からこのようなことを言っていたのですが、誰にも見向きもされませんでした。ところが、今年については家族4人とも全員が鬼の忙しさ。私が長年言っていたことに皆が真実を感じたらしく、年賀状、おせち、くるりと一週だけお掃除、を除けば平日運用で日が変わり夜が明けたという、画期的な出来事がございました。
我が家での今回の年末年始は、何事に付け「ちょうど良い」案配で進みました。そして今年の我が家のモットーは「ちょうど良い」と相成りました。
やり過ぎず、ぼり過ぎず。
多過ぎず、足らなさ過ぎず。
言い過ぎず、黙りすぎず。
使いすぎず、節約過ぎず。
ちょうど良いはいいネと皆で話している際、娘がポリ袋や温暖化の話を持ち出し、これも「ちょうど良い」でやればいいのにね! という我が家の結論でした。
我が家で唯一の理科系の私でありますが、普段は面倒くさいので私の話す機会は無いのですが、何かの時に科学的な見解を求められます。
世間のSDGsがどうも空騒ぎのような気がしているので、ここは科学的見解を開陳せよとのお達しがあり、まぁ普段考えていることを30分ばかり話しました。
その内容をまるで聞いておられたかのような内容を拝見して、わぉ! と思った次第。
私は演説の最後に「相関関係と因果関係は別物であり、これらを混同した議論には必ず嘘があり、そこに真実は無いと銘記せよ」と付け加えたところ、一同理解してくれた模様。
そして彼らが日頃感じている胡散臭さを、彼ら自身で納得できたという感想まで貰って、私はいたって幸せな心持ちでありました。
やす (Krtyski) 様、遅れており申し訳ない。
> 正月だ新年だと言っても、所詮地球がくるりと一回転しただけの話。それ以上でも以下でもございません。
まぁ、そう言ってしまっては身も蓋も ... 。
> 私は以前からこのようなことを言っていたのですが、誰にも見向きもされませんでした。ところが、今年については家族4人とも全員が鬼の忙しさ。私が長年言っていたことに皆が真実を感じたらしく、年賀状、おせち、くるりと一週だけお掃除、を除けば平日運用で日が変わり夜が明けたという、画期的な出来事がございました。
新年とは言え、ムキになる事はありません。「平常運転」が何よりであります。
> 我が家での今回の年末年始は、何事に付け「ちょうど良い」案配で進みました。そして今年の我が家のモットーは「ちょうど良い」と相成りました。
> やり過ぎず、ぼり過ぎず。
> 多過ぎず、足らなさ過ぎず。
> 言い過ぎず、黙りすぎず。
> 使いすぎず、節約過ぎず。
> ちょうど良いはいいネと皆で話している際、娘がポリ袋や温暖化の話を持ち出し、これも「ちょうど良い」でやればいいのにね! という我が家の結論でした。
イイですね !
本邦、クリスマスの後は年末年始の準備と、(心を亡くす)忙しい期間が長くなっております。
そんな「商業主義」に付き合う必要などありませんや。
> 我が家で唯一の理科系の私でありますが、普段は面倒くさいので私の話す機会は無いのですが、何かの時に科学的な見解を求められます。
> 世間のSDGsがどうも空騒ぎのような気がしているので、ここは科学的見解を開陳せよとのお達しがあり、まぁ普段考えていることを30分ばかり話しました。
> その内容をまるで聞いておられたかのような内容を拝見して、わぉ! と思った次第。
昨今、スマートフォンの利用などが広く普及し、様々な知見を十全に活用しないとならないという御時世であります。文系、理系などといった別け隔ては脇に置き、たくさん話し合い、議論を深めて行く事が肝要なのであります。
> 私は演説の最後に「相関関係と因果関係は別物であり、これらを混同した議論には必ず嘘があり、そこに真実は無いと銘記せよ」と付け加えたところ、一同理解してくれた模様。
仰る通りであります。
統計、更には推計という話で、相関と因果、第一/第二の誤謬でしたか、色々とメンドウな話もありました。この辺り、統計、推計の基礎を簡単にでも抑えておかないとなりません。
所が、データの分布などを示さず、平均値だけを見せて納得させる、更にはデータ改竄。これでは統計、推計も歯が立たない。
更には「正常性バイアス」などと言ったものまであり、様々な事象があっても、現代人はデータに幻惑されてしまう様な所があります。
> そして彼らが日頃感じている胡散臭さを、彼ら自身で納得できたという感想まで貰って、私はいたって幸せな心持ちでありました。
そういった対話を重ねる事は大切な事であります。
議論を深めて行く、それこそは(議会制)民主主義の根幹であります。
本年も「平常運転」、日常はまだまだ続きます。宜しくお願い申し上げます。
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